週間店長情報 スポーツに命をかけるな 2024.09.02
オリンピックが終了しました。金メダルを取った人、取り損なった人、いろいろです。スポーツっていろいろな見込み違いが起きます。金メダル確実と言われた人が取れなかったり、全く無名の人が金メダルをとったりします。無名の人の躍進はみんなパッピーになります。問題はその逆の場合です。金メダル確実の人が負けると悲惨です。勝つつもりなのは本人だけではないのです。実際は対する相手も同じ気持ちでいるのです。自分だけが選ばれた人間ではないのです。しかも勝負は時の運もあるのです。と言っても周りから期待をかけていて本人も勝った後のことまでシュミレーションしているのです。負けたとなれば「そんなのないょう」となり泣き喚いてしまうのです。彼ら彼女たちは勝つ事を想定して厳しい練習に耐えてきたのです。自分のいろいろな生活を犠牲にしてこの日を迎えたのです。若い彼女彼らは同年代の人が過ごしている当たり前の生活が出来ていないのです。それこそ自分の人生を賭けてきたのです。
なるほど素晴らしいと認めますが「それがどうした」です。彼ら彼女がメダルを取ろうが取るまいがわれわれ国民に特別影響があるでしょうか?応援したからって何か褒美がもらえるのでしょうか。金メダルを取った個数で政府が「国民一人当たり1万円の還付金」を与えるという総理大臣はいません。「財務省職員が金メダルを取ったので国民一人当たりの税金を1万円免除」という話も聞いた事がありません。テレビの応援で1時間当たり100円単位のコインがテレビから飛び出てくるのという話も聞いたことがありません。メダルを取ったとか取れなかったとか言う話は国民の我々には何のメリットもないのです。「みんなに勇気を与えてくれた」という御仁がいるのも事実です。でも勇気は他人に与えてもらうものではないでしょう。
スポーツの起源はたんなる遊び、時間つぶしなのです。本業があり余興の一つとして始まったのです。球を転がしたり、ボールを蹴飛ばしたり、走ったり、登ったり、取っ組み合いをしたりは全部遊びの延長です。「相撲は神事」という人がいます。始まりは壮絶な喧嘩です。古来は殺し合いだったらしい。格闘技は「ルール化された喧嘩」と喝破したのは喧嘩芸堀部何がしです。彼の本を読むと格闘技というものが喧嘩から始まったのが判ります。プロレスは「演劇化した喧嘩」こういう眼で説明すると家内は「全然夢がない面白くない」といいます。
金メダルを目指している人も競技出来る期間は限られています。短くて5年長くて20年ぐらいです。これに人生とか命をかけている人がいるのも知っています。負けたその日から次の4年後を目指している人がいます。「止めたら」と言いたい気分ですが言っても無駄でしよう。競技に夢中になれるのはほんの数年、残りの大部分の人生のほうが長いのです。30歳で引退しても後50年ぐらいの人生が続くのです。後の50年の生活が大変なのに競技の5~10年に人生を賭けるのは普通で言えば無謀としか思えません。
金メダルを取って悦に入っている人には「おめでたい人」と言いたいです。そのメダルはお金になりません。うそだと言うなら「質屋」に行って「これでいくら貸してくれる」と言えば判ります。「かせましぇん」と言われるのが落ちです。「えぇっ 金メダルだぜぇ。1銭も貸してしれないの」と言うかもしれませんがこれが現実です。金メダルの成分は純金ではありません。そんなことは誰でも知っている筈です。中身は何製?か判りませんが安価な金属性か石膏かもしれません。よく金メダルをかじるポーズをしているメダリストがいますが止めて欲しいです。金ではないからです。
金メダルに500gぐらいの純金が貼り付けてあるのがグッドです。これだと値打ちがあります。家に飾って置くなんてことはないです。金庫にしまっておく必要があるのです。銀メダルは200gぐらいの純金、銅メダルは100gの純金がお奨めです。これだと命をかける人が出るかも。
仕事とか商売に人生を賭けてもスポーツに命をかけてはいけないのです。