週間店長情報 佃煮は非常食 30 5 21
「今度は佃煮かい。おめぇ 佃煮はよく食べるんかい」「いや ほとんど食べません」「食べもせんアイテムの話をしょうっていうんかい」「一部のアイテムはもう一生分食べています」「ふーん なんか判らんけどしやべってみぃや」と言うことで佃煮について話をしたいと思います。
学校給食が始まったのが中学三年の時です。それまでは弁当持参でした。当時の我が家は家を建変えた時期で両親は大変だったと思います。当時住宅ローンはありません。あっても漁師の父ではローン審査が通らなかったでしょう。
弁当のおかずの定番は佃煮。昆布の佃煮は木箱入りで200円だったと記憶しています。500gか1キロかは不明。これを食べるのに数日かかります。弁当のおかずとして毎日です。飽きてしまいます。飽いた場合はふりかけというのが次の定番。1袋5円かつおの入ったふりかけでした。これはあまり美味しくなかったです。10円だと海苔のふりかけ こっちのほうが美味しかったです。量が多かったので2日に分けて食べました。浮いたお金を貯めて食べたのが30円の「まるみやののりたま」ふりかけです。僕にとってはご馳走でした。今もスーパーで売られています。ここで添加物がどうとか言って入られません。生活するので精一杯だったのです。ふりかけがおかずというのは僕たちだけでは無かったです。かなりの人が弁当のおかずだったのです。
小学校の時には味噌汁も作っていました。きっとまずかったでしょう。出汁もとらずに作っていましたから。でもダレも文句は出ませんでした。中学生の時は薪作りもしました。持ち山に行き中腹で雑木を切り倒し薪の長さにのこぎりで切り揃えた後で割るのです。ここまでは僕と弟の仕事。後はお袋が家まで薪を運んでいました。現在の子供はだれもしないでしょう。
佃煮の話をするのは初めてです。どちらかといえばスルーしたいアイテムです。でもいつかはお勉強しなければいけないアイテムだと思っていました。佃煮を置いていない店はないです。佃煮の発祥地は東京の佃島というぐらいは誰でも知っているでしょう。その程度の知識ではダメだという事で調べてみました。
「本能寺の変が生んだ佃煮物語」によれば明智光秀の謀反によって織田信長が本能寺で倒れましたがその時 徳川家康はわずかな手勢と堺にいました。岡崎城に戻る時に助けたのが神埼川近くの佃村の庄屋森孫右衛門。手持ちの漁船と備蓄していた小魚煮を道中食として差し出したのです。これで無事に岡崎まで辿り着いたのです。このときの恩を忘れずに家康は佃村の人を江戸に呼び寄せて 今の佃島に住まわせたのです。ここから江戸町民に小魚煮を商いしたのが始まりだとか。
佃煮の定義 調味液で漬け込み、濃厚な調味により保存性を持たせた、煮豆、佃煮 食品
煮豆 煮豆 甘味(砂糖、水飴、塩で甘く煮たもの)ウズラ豆 金時豆 黒豆 白花豆 等
醤油味(豆と食材を醤油、砂糖などで煮た物)昆布豆 五目豆 等
佃煮 佃煮(醤油、砂糖、みりんなどで味濃く煮しめたもの)昆布佃煮海苔佃煮きゃら蕗等
甘露煮(砂糖とみりん又は蜜、水飴等で甘味をつけて煮た物)鮎甘露煮 栗の甘煮等
しぐれ煮(こしょう、山椒などを加えむたまり醤油で煮しめた物)あさりしぐれ煮等
対象とならない食品 水煮豆 酢漬け豆 一般的な惣菜。
佃煮の塩分濃度 10gあたりに換算してみました。
あさり0.9g 昆布0.7 蛤0.7 あみ0.6 いかなご0.5 わかさぎ0.4えび0.4 ほたるいか0.3
ごはん1杯150g 必要な塩分は1.6g 沢庵だとだいたい2切れ。参考にしてもらえれば。
当方は佃煮を買って食べる事はないですがもらって食べる事はあります。「まずくてお口に合わない」とかは言いません。いつも味見は欠かせません。これはお勉強だと思って食べます。
佃煮は保存食非常時必須アイテム いざと言う時役に立つのです。