週刊店長情報 店の成り立ち 23 12 12
今回の発注で大変ご迷惑をおかけしました。その上転送のファックスも不具合で申し訳ございませんでした。田舎でどうしても出なければいけない葬式が出来たためです。
脱サラする前は印刷屋に勤めていました。その時はよく本を読みました。特に江戸時代の本が好きでした。古典文学大系とか全集の江戸時代のものとか江戸時代の研究家の本などを読んでいました。三田村何がしの本の記憶が残っています。その時に店の成り立ちについて書いてあったのを思い出しました。初めは歩きながらの販売です。京都では大原女が有名です。樫木原女 白川女などもいました。独特の言い回しをしながら歩いて行くのです。その時販売するものは頭の上にざるを載せて野菜 薪とかを上に載せていたのです。今なら引き売りか訪問販売にあたります。これが人のよく通る場所で立ち止まっての販売に進化。立ち売りの始まりです。京都には上立売 中立売 下立売という場所があります。立ち売りから軒先売りに進化。これが店の始まりです。軒先売りから店売りになったらしいのです。店も伊勢地方の人が作った伊勢店 滋賀県地方出身者が作った近江店とかが有名です。伊勢店だとスタッフも伊勢出身者ばかりです。昔は丁稚 手代 番頭と言われていました。番頭までなるのに十数年かかります。更に許されれば分家となるのですがここまで行く事はほとんどないです。それまでに養子の口を見つけて養子に入ったりするのです。店は単品扱いから始まります。お客さんが増えてくれば店を大きくして大商圏に対応したり取扱商品を増やしてお客さんの要望にこたえていきます。そして最後は藩とか幕府に金を貸すような豪商になりあがるのです。ここまでくると大きな力を持つことになります。藩政 幕政に影響を与えるのです。利権を独り占め出来るのです。金持ちの事を分限と呼んでいました。「1万両の分限」「銀3000両の分限」とか呼んでいたのです。飲み屋も初めは「煮売り屋」から始まったのです。樽がカウンター代わりで座るのも小さな桶。とか長い木です。この発展プロセスを今の商売に当てはめてみると今の自分の位置と次に目指す方向が判るかも知れません。脱サラしたときほとんど無一文。お金が無い場合は大原女のように物を持って販売するしか方法が無いのです。今だと車での移動販売と言う事になるでしょう。その後「御用聞き販売」になりました。毎月訪問できる商品を扱ったのです。これはうまくいったと思います。毎月訪問できる商品があると別の商品も紹介したのです。これだとほとんど資本もなくて商売を続けられます。1日20軒~30軒を廻りました。独身だったのでこれで充分やっていけました。欲がなかったのでそれ以上の稼ぎを考えなかったのです。それが和歌山の同業者と付き合うようになり美容室への卸しに変身。これもうまく行きました。たまたま普及し始めのイオンクリームなる物を取り扱う事になったからそうなったのです。なれない美容室廻りでしたが委託販売だと置いてくれる店が出来たのです。仙台に住んでいる同業者から操体法の事を聞いたのはこのころです。ここから後は何回も紹介したことがあるので割愛します。今は自然食卸になりました。付き合いで長い店は30.年近くになります。自然食品店も小さな店 大きな店 さまざまです。これからもどちらかに振れていくのです。大きくなっていく。又は多機能化していく店がある一方で逆になっていく店も出てくる筈です。逆になると言う事は売り上げが減少して取扱商品を絞り込みしたり今までのサービスをカットしたりします。自分では気がつかなくても自然とそうなります。無意識にそうしてしまうのです。下がり始めた売り上げとか不振を上昇に転じるにはかなりの努力が要ります。この処方箋はあまりありません。今までやってきた方法がダメだと言われてもそれ以外の方法は出来ないのが人間です。その一つの処方箋は「ものまね」です。自分の店よりロケーションの悪い店で繁盛している店を探してまねるのです。すべてまねると良いのです。「モデル探し商法」と言うらしいのです。うまくいったら更にうまくいっている店を探してまね続けるのです。結果繁盛すると言うのです。能力のない僕が続けていた方法です。