週間店長情報せ 地震だ、津波警報 非難せよ! 2024.01.07
一年最初の元日、新たな一年の始まりとしてみんなわくわくしていたのです。突如防災無線とサイレンで「地震発生 津波警報 すぐ避難して下さい」という事態が実家の越前町で発生しました。防災無線は何回も避難の呼びかけを続いています。家の前の道路には高台に非難する車がひっきりなしに通ります。家の前の道路から150m先に海が見えます。道路の下には川が流れています。今まで経験したことがない事が起きました。「まじかよ」と誰でも言うでしょう。
僕の家の緊急事態は60年以上前に起きたことがあります。今道路になっている所は橋になっていました。家の前の橋の横(川の上)に消防小屋があり消防のホースを川の両端にポールを立てて乾燥させていました。こりポールが家の前の橋が流された原因になりました。雨で川が増水してポールが雨水の増水に耐えられなくなってしまったのです。あっとうまに橋はポールと一緒に流されてしまいました。家の前の通路も少し削り取られました。家は新築で入居して1年未満状態でした。当時の僕は小学1~2年生ぐらい。非難したのは家の上にある家です。親戚ではないですが自宅のある上しか方法がなかったのでしょう。この時父は定置網の漁師をしていました。流された橋は父の船が見つけて波止場まで引っ張って来ました。子供の僕でも新築の我が家が流されるかもしれないと思ったものです当時父は漁師、母もどこかに働きに行っていました。学校から帰ると僕ら兄弟姉妹4人だけで親達の帰るのを待つのが日常でした。我が家には爺さん婆さんは僕らが生まれる前に死んでいなかったのです。この経験が一番の我が家の危機だと思っていました
戦争の知らない僕ら世代は地震と火事ぐらいしか危機を感じる機会はないです。ウクライナで起きるようなことは日本では起きないと考えているのです。「平和は金で買えない」と思う人も少しずつ増えているかもしれません。危機が来てからでは遅すぎるのです。侵略されない為の覚悟と装備は必要だと考えています。非武装中立は現実的でないと考えるのは僕だけかもしれませんが。
繰り返される防災無線でかなりの人が車で移動し続けています。隣村からの車もありますが同じ村の人の車もあります。4軒川下の従兄の家、正月に実家に帰ってきていた従兄の子供夫婦がその子の子供を抱えて僕の家の前を通りかかりました。その後従兄の奥さんが続いています。斜め前の家の人達(家内の同級生)その下の家のガス屋の人も車で上に上がる様子が見えます。僕の長男は僕らより先に高台に行ったらしい。その後家内が「お父さん、一緒に上に逃げよう」と何度もいいます。僕が動かないのを知ると自分の車で移動。携帯に「お父さん連絡すればお兄ちゃんが迎えに行くから」連絡。この30分ぐらいで村はゴーストタウン。全く人気がなくなりました。僕の家の上の家にいる人は非難していないらしい。その上の家の奥さんが下に下りてきて「ウチのは5メートル予想の津波だと自分の家までこない」というこの奥さんは非難したと家内から聞きました。
僕はじっと海面を観察し続けました。それと海鳥の動きと野良猫の動きを見続けました。長年「野生動物が人間を斬る」という瓦版で記事を書いています。今回のような事態が起きればはっきりすると思ったのです。海の向こうを見続けました。高波が押し寄せて来た場合は家の前に停めてある車に飛び乗って高台までいくつもりです。高台まで1分もかかりません。その間スマホでどうなっているかも情報を集めています。家の前の道路には誰もいません。周囲の家には人影は皆無。こんなの初めてです。沿岸部の地区は全部こんな状態でしょう。これだと泥棒し放題です。不謹慎?
40分ぐらい経つと家内から「家に戻る」との連絡。警報は解除されていませんが少し安心できるレベルまでになったのでしよう。ぼちぼち上から車がおりてきました。危険な状態から小康状態に。これが「能登半島地震」初期の僕の家で起こった状況です。家の被害は皆無。福井に住んでいる次男のアパートはかなり揺れたらしい。3階はゆれが大きかったらしい。被災地は甚大な被害になっていると連日報道されています。余震が収束に向かい早期復興される事を祈っています。