週間店長情報 どんぶりに愛を込めて 30 11 26
「おめぇ 吉野家の廻しもんか」「いや 違います」「でも どんぶりと言えば牛丼と違うんかい」「そんな事はないです。牛丼以外も沢山のどんぶりがあります」「それでもここで話をする値打ちがあるのかい」「あると思います」「すぐに終了になるんとちがう。だいたい 歴史も無いどんぶり 話をしょうにもネタが見当たらないはず」「そんな事はないです」「じゃあ 話してみぃや」
と言う事で今回はどんぶりの話です。今月からカニが解禁になっています。月初め福井に帰る前、家内から「今日はカニ」との電話「どうしたん」と聞くと「おやちゃん(家内の友達)がおっけた(くれた)」と言う。セイコガ二4ハイを二人で食べました。次の週も「カニを買った」と言うので「なんでや」と聞くと「先週買い損ねた私に廻してくれた」と。職場の同僚が息子の船で取れたものを持ってきたので買ったらしい「いくらじゃ」と聞けば「千円」セイコガニ4ハイ。僕がビールのあてでカニを食べている間家内はひたすらカニの身を出しています。僕が食べ終わった頃彼女の皿はカニ身がてんこもり。「少し助けてやろうか」「いや」これを熱々の御飯に載せて食べていました。これは美味しい。京都だと買えば倍以上するでしょう。町内には「セイコどんぶり」と言うどんぶりを出す店もあるらしい。このくらい日本人はどんぶりが好きです。
どんぶりの歴史は室町時代に遡ります。芳飯と言うのが始まり。元々はお寺での精進料理の一種。御飯に陰陽五行説に基づいて五色として 白 黄 赤 緑 黒色の野菜 乾物を細かく切って味付けしたものを乗せてすまし汁をかけたもの。接待用の食べ物だったようです。
どんぶりの定義はどんぶり鉢に味をつけた具材を御飯のうえにトッピングした食べ物。その語源は江戸時代 一杯盛り切りの飲食物を出す店を「慳貪屋(けんどんや)」と言いそこで使う鉢が「慳貪振り鉢」と呼ばれていたことから省略して「どんぶりばち」となったとネット。慳貪は「けちで欲が深い」と言う意味。慳貪屋で出す物を慳貪そば 慳貪めし。運ぶものを慳貪箱と言った
漢字丼(たん)は井の本字で字面から井戸の中に石を投げ込んだ音を表す字として用いられて、擬音語の「どんぶり」に当てられ更に「どんぶり鉢」を表すようになったものだとか。
古来日本の上流階級の食事は主食である御飯とおかずを別々に配膳され、それを一箸ごとに口に運ぶと言う様式を基本としている。今でも主食におかずを載せることを忌避する人がいる。
江戸時代になると短気で飾らない職人たちから「ぶっかけ蕎麦」を常食とし、その他のおかずも飯の上にぶっ掛けのがぶっかけ飯の始まり。せっかちな江戸っ子だからでしよう。
どんぶりの蓋は出前か否か、料理によって使用するかしないかは様様である。天丼やカツ丼などは、カリカリとした衣の歯応えを残したい場合は蓋をしないが蓋をする事で蒸されて柔らかくなった状態を完成型とする老舗の天ぷら店もある。ここまで考えているのがどんぶり料理です。
どんぶりにもいろいろ我々が普段知らないようなものが結構あります。東丼(鮪具材の ぶりのあつめし)天津丼(かに玉丼 芙蓉かにととろみのあるたれ 日本の料理)はらこめし(鮭を煮込んだ汁に鮭いくらをトッピング)中華丼(八宝菜を御飯の上にかけた日本発祥の料理中国には無い)深川飯(アサリ 蛤の貝類とねぎ)ロコモコ(ハワイの丼)タコライス(牛ひき肉を味付けしたタコミートにチーズレタストマトをトッピング)どんぶりによく似たものが台湾 韓国にもあります。
吉野家について一言 名前の由来は 店主が大阪吉野町出身者からついた名前。初めの牛丼は味噌仕立てだった。これが肉質の向上と技術の発展から醤油ベースのたれに変わったらしい。
福井県にあるソースカツ丼の店ヨーロッパ軒についても言及したいです。100年以上続いています。元々は東京にあったのです。それが関東大震災で壊滅した為出身地の福井県で出店。元祖の高畠何がしはベルリンで6年修行。日本人に合うオリジナルソースを考案。これが福井県では人気です。僕はこれが苦手。敦賀店は暖簾わけ店。どんぶりに愛はあっても僕には愛はない模様。トホホ。