週刊店長情報 神様ご立腹 23 5 30
救援品に傘とカレンダーを追加します。傘なら何本あってもいらんとはならないでしょう。カレンダーは新聞で呼びかけていたとメンバーから聞きました。あづみの湧水の担当者との電話で割当制を解除してもらいました。「一般市場で大分出回ってきた。飛び出るような注文は来ないだろう」と言う事です。
神様仏様と言います。正食では神様が陰性、仏様が陽性と言う事になります。今回の震災は原発の方向転換が求められています。全部廃止となるといろいろな問題が出てきます。立地県は全部過疎です。福井県の原発も30年以上の物が多数です。これが全部止まると過疎が更に進むのは明白です。これを解決できないと廃止とは言えないのが現状です。国に「安全の担保」を求めるというのが原発立地の知事 市長です。国に安全の基準を作ってくれといっています。国の安全基準を満たせば建設OKしたいらしいのです。この場合国にも責任が。今回の災害ではっきりしたのは想定外が起きると電力会社は立ちいかないくらいのダメージを受けると言う事です。原発の立地の選定権限は電力会社にはないと聞きました。国会議員でもないようで役所が決めるのです。不思議ですがそうなっています。ここで神様の立場で考えるとどうでしようか。当方はよく「神様とやらがあんたの仕事を応援してやろうという事をし続けるのがいい」と話します。自分がこうしたいとかああしたいとか思ってもうまくいかないのが商売とか人生です。いい主人と出会いたいと思ってもそうならない人が大部分です。逆の場合もあります。「この商売が自分にあっているし将来性がある」と思って始めた店。「こんな筈ではなかった。自分にあっていない」と思っても後の祭り。やり続けなければいけないのが現実です。神様は自分で解決できない無理難題を我々に押しつけることはないと思っています。しかし時にはそうならない場合があります。神様がお気に召さない場合です。どういう事がお気に召さないというと「自然法則に違反した行い」だと推測しています。我々は知らずの間に自然法則を無視した事をします。「私は法律に違反する事はしていない」と言われる人がいます。神様の眼からは違反と見える場合があるのです。原発の場合で言うと最終処理が決まっていないのに次々と原発を増やし続けるというのは法則違反です。結論が出ていないものを推進してきたのです。「資源のない日本では効率のいい発電」と言うのが推進派の言い分。いったん事故が起きると収拾できない事態になると判っていたのです。今まで眼をつぶってきたのです。実際に起こってしまったから今までの賛成派も「これは危険」と言い始めました。今回は神様がご立腹になって「そんなに安全と言うなら地震津波でどうなるか思い知らせてやる」となったのかも知れません。神様に逆らって今までやってきたつけが来たのです。無視して推進すると神様は更にご立腹?