週間店長情報 今年のセミナーは特別 31 4 8
22回目のセミナー 今年は特別でした。2月に予期せぬ事態が。家の1階の窓(そんなに高くない)から飛び降りたら両足骨折になってしまったのです。生まれて初めて入院。入院が決まった時はパニック状態。今後の事を考えると「お先真っ暗」です。仕事とセミナーが二大心配事。
仕事のほうは息子に全部お願いするしか手が無いです。自分の不始末ですから申し訳ない気持ちで一杯です。彼にとってはいい迷惑。僕のしていた雑用も彼に押し付けた格好です。
手術後「入院生活は何時まで続くの」と主治医に聞くと「ピンが抜けるのに左は6週間、重症の右は8週間」だと言うのです。「それまでは外泊なんてもっての外」6週間後というのはセミナー終了後の火曜日。「これではセミナーに間に合わん」心中は真っ青。最悪な状態。
セミナーの準備で僕の役割は 資金(協賛金)集め プログラム作り 協賛広告原稿集め 講師との折衝 書籍の手配 等です。病院のベッドで出来る事をするしか方法はないです。持ち込み可能のパソコンでいつくか仕事は出来ます。電話でお願いしたりする事も出来そう。困ったのはパソコンからファックスが送れない事です。ファックスが使えないのはかなり不便。
セミナー前日の外泊許可は難しい状況。看護師さんも「両足だからねぇ」と。諦める事も検討しなければ。更に事態が悪いほうに急変。リハビリ中PTに「ちょっとそこ(足の甲の部分)は痛い」と訴えましたが対応してくれません。次の日の医師の回診時、看護師さんに伝えると包帯を解いてくれました。踵から刺しているピンが足の甲1ミリぐらい突き抜けています。寝ている時無意識に踵を押さえてしまったのでしょう。医師が元に押し戻してくれました。これで一件落着と僕は考えましたがPTは「深刻な事態」と。即リハビリ中止。左100%右30%の荷重松葉杖歩行も休止。今後の事は「主治医に聞いてから」これだとピンを抜く時期が更に遅れそうです。困った事に。意気消沈。あくる日の火曜日の主治医回診で思いがけない言葉が「5週目が過ぎて6週目に入っている。1週早いけどピン全部抜いちゃおう両足共。抜いてあげる」と。慎重なPTとは真逆。あくる日の水曜日の昼頃レントゲン室で左右の足に突き刺さっていたピンを全部抜いてくれました。今まで横に寝ていたのが仰向けOKです。次の日の木曜日には傷口が塞がっているのを確認して包帯も全部取り除きました。初めて包帯なしの裸足に。予定が1週間早まったのです。これだと外泊の許可の可能性が。主治医は「2泊はダメ。付き添い介護付きと車椅子。両足免荷(足をつかない)条件なら」で許可になりました。「やったー これで京都にいける」これだと会場への荷物運びも可能。
車の運転は不可とは言わなかったので運転OKだと理解。これには息子が反対「足をつくなと言う事は車の運転不可は常識」と言うのです。僕が運転して運ぶ予定でしたが断念。彼が予定を変更して車で運んでくれました。余分な迷惑を掛けてしまいました。
当日の心配は動員。予想より少なかったですが何とか格好がつきました。挨拶とか話す内容は決まっていましたが立って話せるか不安。体操実技も完璧ではないですが何とか切り抜けました。僕が訴えたい事は外せません。「話が長い」と言うお叱りを受けるのは百も承知。当方の主張は操体法。この所重心の話をしています。身体が歪む初期が「重心の偏り」だという僕が到達した結論の話です。この結論に30年かかりました。参加者の一人か二人判る人が出ればいいくらいの気持ちで話しています。言い続ける必要はあると思っています。
講師はガン検診についてのデータの取り方と判断の話でした。データの切り取り方で有効が無効になったりするのです。その反対も起きます。製薬業界の恣意でそうなる場合があるのです。製薬業界だけでないです。医学会 医師の都合とか意図でも変わるようです。学者らしい話し方でした。派手なパフォーマンスとかはないです。聞けば納得できる話です。後日電話のあった数人から「よかった」と。内容を知りたい人は書籍 ビデオ(近日中にダビング)をお求め下さい。