週間店長情報布団の歴史 2024.01.15
「おめぇ 布団なんて地味すぎない」と言われそう。初めは「布団の科学」というタイトルで行こうかと考えました。いろいろいじっているうちに「ふとんの事僕らは何にも知らない」と判断しました。訳知り顔をしていますが我々には知らない事が沢山あるのです。ほとんどの人は「あんたに言われんでも布団ぐらい知ってらぁい」と言うでしょう。たった100年前、200年前からの変化だけでも知るとびっくりするでしょう。と考えるのは僕だけかもしれません。
布団屋は斜陽産業だと誰でも言います。繁盛店がある事をネットで知りました。布団屋で繁盛店ですよ、ウソでしょうと誰もが突っ込みたくなります。逆に言えば「誰も見向きもしない商売にチャンスがある」のです。布団屋で繁盛店があるくらいですから自然食品店も「これからの業種」と考えるとチャンスがあるのです。僕は以前からそういう話を何回もしています。
年賀状も斜陽化が進んでいます。みんな「ネットとかスマホで充分」と思っているのです。僕は年賀状だけでなく今年から暑中見舞状を出そうかと考えています。たまに「年賀状下さい」と言う人が出ます。年賀欠礼のはがきに「年賀状は欲しいです」という人もいました。「暑中見舞い、年賀状欲しい人は連絡下さい。無料送付します」と言う呼びかけをする事になるかも。「おめぇ やっぱり変、頭狂っている」そうです狂人にならないと出来ません。賢いと余計だめです。
私達は夜になると眠ります。野生動物も同じです。毎日の事なので太古の昔から眠るのですから寝具は昔からあった筈です。と誰でも考えます。奈良の正倉院に日本最古の布団があります。何でも聖武天皇が使っていた物らしい。この画像を見ました。
「えっ これが布団」とびっくりします。ふとんには見えません。ベッドとも違うものです。材質は菰、稲藁見たいな物を数枚重ねたものです。太古の昔は布団と言えば敷布団の事を指したのです。掛け布団はありません。「うそ、そんな事はない」と言うでしょうが本当です。上にかけるのは着ている服を羽織るのが普通。高貴なお方がそんな按配ですから下々の人達はもっと簡素な物です。だいたい「ござ」とか菰を敷いて着物を羽織るだけです。
下着とかはありません。「それでは寒い」と今の人は言いますが昔は全部ノーパンが当たり前 裸で寝るのです。こんな状況が江戸時代ぐらいまで続きます。
綿の種が大陸から渡って来て栽培され始めたのは江戸時代。それまでは絹とか麻だったのです。小さい時にお袋についていった時の病人の家の情景を思い出します。敷布団は藁でした。昭和では敷布団は稲藁、掛け布団も藁だったみたいです。藁を包む布は絹か麻は高貴な人達。下々は和紙です。綿の代りは端切れとか紙くず 海草を乾燥させた物もあります。
花嫁衣裳で分厚い着物がありますがこれは結婚して夫婦で綿入れの着物を掛け布団代わりに使う物だったのです。今まで「何であんな分厚い着物を着るのか」判らなかったのです。
お袋の花嫁道具に夜着箪笥というのがありました。綿布団が流行り始めると布団を入れるたんすが出来のです。布団を上げる習慣はこの時から。今の家みたいに収納は昔の家にはありません。僕の福井の家でも収納がほとんどありません。昭和30年ぐらいに建てられた家です。収納は全部箪笥でした。その他「衣桁」というのもありました。これは寝着を干しておく物でしょう。
「昔は良かった」という人がいますが敷布団は藁、掛け布団は着ている着物 下着がない生活が素晴らしいとは言いたくありません。これだと体力の消耗は激しいです。その上美味しい物は食べていません。昔は2食か1食が当たり前。「腹八分目は医者要らず」は8分以下の食事量だったのです。早死にするのは当たり前です。年寄りが病気になったらすぐにあの世行きです。体力が落ちると感染症に簡単にかかります。今のように夏は「寒い」と言ってスーツ。冬は「暑い」と言ってアイスクリームを食べる生活のほうが長生きするのです。布団の事知らない事ばかりです。