週刊店長情報 博打足 2019 8 26
「足大丈夫ですか」と今でもかなり聞かれます。両足骨折ですから回復までかなりの日数が必要なのは誰でも知っています。大部分の人は「手術」をしたと思っているようです。手術だと中を開いてボルトで固定。骨がくっついたころ再度中を開けてボルトを外すというのが一般的な考え方。医者はみんなそうするものと考えているのです。当の僕がそう思っていました。医者って行ったことが無いので30年前人から聞いた話です。医学の進歩に気がつかない僕でした。
両足骨折はあまりないらしいです。初めて車いす生活を経験しました。入院中に主催セミナーを車いすで出席。普通の人ならこの状態だと「中止」でしよう。誰もがそのような決断をするのです。入院初期は「いつ退院できるか。セミナーに間に合うか」ばかり心配していました。看護師さんや担当医にお願いした事を覚えています。今から言えばあせっていたのでしょう。
僕の頭の中では中止と言う選択肢はなかったです。あきらめが悪い奴です。入院中考えたことは「俺は何のためにセミナーを続けているのか」「商売は何で続けているのか」と言う自分に対する問いかけです。セミナーについていえば講師の話を聞きたいだけではないのです。それだけなら僕が主宰する必要はないのです。その講師の講演会に出席すれば解決です。
当方が主宰する理由は操体法の普及です。その中で大切と言うか僕が訴えたいことが有る為続けているのです。訴えたいことは単純です。聞けばだれでも納得するはずですがそうなっていません。
毎回肝腎だと思う事を紹介しています。30年以上かかわって辿り着いた結論は簡単すぎます。僕が伝えたい事が判る人はなかなかいません。参加者の大部分は講師の話を聞くのが目的ですからしょうがいないです。そのうちに一人ぐらいは「判った」とか「もっと 聞きたい」と言う人が出るも知れません。1000人に一人ぐらい出てくれればくらいのスタンス。
昔の塾は先生が同じでも塾生の出来によって「判った」のレベルが全部違うと聞きました。尋常小学校と言うのは「常に尋ねる」と言う事でしょう。尋ねなければ教えてもらえないのです。今の僕は聞かれないのにこちらから話をあまりしていません。偉そうにしている訳ではないです。
僕の足の状態について話をする事に。あまり自分の事を話したくないですが。
何とか歩けるようになったのですが完全に骨折前の動きが出来るまでになっていません。足の運動分析をするとはっきりします。前後 左右回旋 左右捻りをすると出来るのは前後の動きだけです。これも可動域が少ないです。スポンジ底の草履を履いている時には判りませんが裸足での歩行だと踵をつけるところから次の体重移動がスムーズに出来ていません。裸足歩行だと「どんどん」と言う具合です。階段の下りに不具合があります。病院には退院後5月7月次は11月に行く事になっています。病院ではレントゲンを撮って診察室に。診察時間は1分ぐらい。「骨はくっついている。異常ないですか。湿布は入りませんか」「いらん」で終了。味も素っ気もない僕です。
皆さんから聞かれるだけでなく遠方から電話を掛けてくれる人もいます。先日は浜松市の女性整骨師「足 大丈夫。今までのアパートぶっ壊して家を建てた。番地も変更に」「アパートの跡地に家 きっと大きい家でしょう」「何せ 敷地が広いもんで」と言うので「敷地の広さはどのくらい」と聞くと「300坪」1桁違うのではと思ったのですが「主人の家百姓 農協に勤めていた」本人は週に2か3日パートで整骨師の仕事をしている模様。開業した事があります。大繁盛 しすぎて近くの整骨院が数店閉院。彼女を見ていると繁盛って難しいとか考えさせられます。能弁でないしスタイル容姿もよくないです。彼女と比べて「俺はしゃべりすぎ」です。
和歌山の整骨院 平野先生からも電話。「好い事教えたろか。あんたの足は 博打足っていうんだ。昭和の時代博打場は2階。警察のガサ入れが入ると2階から飛び降りて逃げた。その時両足骨折したから」博打打ちでもない僕の足が博打足だとは納得できん話。