週刊店長情報 死ぬのも一苦労 27 7 21
初めて「家族葬」に出席。親戚の人が亡くなった為です。場所は京都。福井の親戚が「家族葬では泊まるスペースがないと言うのでホテルを取って」との連絡。会場近くのホテルを予約しました。家族葬と言う名前は聞いた事がありますが実際に遭遇した事はなかったのです。会場は葬祭場と同じですが花とかはほとんどありません。会社関係とか御近所の人達とかもいません。僕が行った時は家族だけでした。棺桶は通夜の部屋にあります。「ここで家族だけで静かに一日すごす」のだと言います。いつもならとっかえひっかえ人が来るのですがここでは死んだ人の甥とか姪がほとんどです。他人はいません。甥とか姪も加わっても10人迄です。これが田舎だと大変。飲み食いですごい金が出ていきます。その上葬式では焼香の順番とかで揉めたりします。家族葬だと全く問題になりません。焼香は家族が呼ばれるだけで後は椅子に座っている前から順番に焼香するだけです。家族以外はすべてその他大勢扱い。会社関係とかのお悔やみ電報もほとんどありません。これも助かります。いつぞや電報だけで数十分なんて事もありました。しかもほとんど故人に関係のない会社団体だったりするのです。以前法事で旦那寺の和尚さんは「家族葬なんて故人に失礼」だと言った事を思い出します。和尚さんの立場で言えば「とんでもない」のです。家族葬が普及しそうです。今までの葬式は「見栄」これからの葬式は自分の背の丈にあった方法と言えそうです。通常の葬式だと喪主とか奥さんに直接病状を長く聞く時間はないのですが今回は話が聞けました。故人には昨年秋にお見舞いに行ったことがあります。その時は元気だったのです。その時はあと数日で退院して別のリハビリ病院に入ることになっていたのです。「これならすぐに亡くなるなんて事はないだろう」がその時の印象。それがリハビリ病院に入ってリハビリを始めてから容態が悪化したと言うのです。「それからが大変だっと」と喪主の奥さん。「何で」と聞くと「すぐに退院してくれ」と言われるかららしいです。「動けないのでしょう」「そうです。それが、今病状が安定している。今なら退院できる。病院の規定でこれ以上入院を続ける事は出来ない」と言うのです。やむなく別の病院に。ここでも2ヶ月もすると「出ていって欲しい」と言うらしいのです。本人は寝た切り状態。家で看護するのは無理。こんなことが数回続いたらしい。亡くなる数か月は新しい病院探しに奔走。これが今の医療の現実だと言うのです。医療制度は容態が安定している病人は早く退院させないと医療点数がつかないか少ないかで赤字になるからでしょう。重病人でいろいろな医療技術が駆使できる患者は入院を続けることが出来るのです。「儲かる患者は引きうける」が「儲からない患者はいらない。出て行ってくれ」なのです。「医は仁術」ではないです。「病院通いを止めれば病気はよくなる」講演会で今井医師は「骨折したら整形外科にいってはいけない」と話してくれました。当時は入院加療が3カ月認められていたのです。整形外科では設備とリハビリ施設が整っているので3カ月入院させることが出来たのです。今は確かな事は判りませんが1カ月ぐらいでしよう。それ以上入院を続けさせても点数がほとんどつかないか少ないでしょう。装具も13万いくらが上限です。実費請求にすると半分以下になるかもしれませんが現実は13万いくらの最高額の請求になっています。こんなところに税金が投入されているのです。医療費は伸び続けています。これを減少させることは不可能でしょう。可能性があるとすれば国がデフェルトするか財政ピンチが今より深刻な状態になった時でしょう。又は戦争当事国になれば解決。実際には起きないでしょう。保険でお金の事は安心できても医療側の都合で入院を続けられないのがこれからなのです。儲からない患者様は追い出されるのです。病院から見て「儲かる患者」にならなければいけないのです。そうすると「もっときちんと検査してくれとか頭だけでなく心も診察してくれ」とかいろいろ言い続けると良いのかも知れません。病気になっても「金さえあれば大丈夫」と思っていませんか。入院にも知恵がいるのです。死ぬのも一苦労の時代が来ているのです。