週刊店長情報 良い人ほど短命の訳 23 4 4
「憎まれ者 世にはばかる」と言う言葉があります。先月 いつもよくしてもらっていた大家さんが亡くなりました。このご人には本当によくしてもらいました。僕のアパートの隣が空いたので「中橋さんに借りてもらえ」と言ってくれたので借りることに。権利金礼金はなしでいいと言う事でした。おかげで仕分け間違いが随分減りました。今までは大家さんの倉庫を借りていたのですがここだと大家さんが自転車を出し入れしたり、その他用事で出入りするのでいつもスペースを開けておく必要がありました。隣の部屋だと前日に日配品以外の物の仕分けが可能になったのです。配達日当日は日配品の仕分けと検品をしています。今まで時間の関係で検品がおろそかだったので間違いも多かったのです。これはどうしょうもないと思っていたのです。皆さんからは「一人では無理」と言われ続けていました。借り始めは眼が慣れていなかったのですがだんだん検品の眼が慣れてきたところです。仕分け間違いでのご迷惑をおかけすることが少なくなると信じています。その大家さんは丁度70歳でした。昔ならいざしらず今だと「若い」となるでしょう。葬式は家族葬。生前から決めていたそうです。理由は「主人の知り合いが多すぎるため」だと聞きました。祇園祭の船鉾の世話人をしていたとも後から聞きました。でもここは山科「どうしてそんな役につけたの」と奥さんに聞くと「昔 八坂神社に何かあったとき沢山寄付をしたのでそうなった」らしい。もちろん人に恨まれたりとかは全くない人でした。温厚な人だったのです。それが早死にです。昔の中国の荘子という本に「盗跡編」というのがあり長生きの大盗賊の話が出ています。「徳だとか信だとか礼だとか言っていいた賢人達はことごとく早死にしたではないか。わしは欲しいものは何でも手に入れてきた。財宝だけではない。いい女も次から次と手に入れてきた。逆らうものは全部ぶっ殺してきた。それがこれだけ長生きしているではないか。礼だとか仁義だとか徳というものは長生きには害なのだ」というくだりが続きます。賢人とか知識人は今も昔も短命なのです。理由は「良いことをしようと頑張りすぎるから」です。頑張りすぎると肉体的には交感神経を刺激することになるのです。いつも交感神経を刺激し続けると病気になってしまうのです。それを止めるには「良い人になるのを辞める」事です。憎まれ者になることです。そうするとしたくもない慈善事業とかに首を突っ込まなくて済むのです。良い人は自分に正直でないからなのです。人の為にと考えられるのは余裕がある人たちです。余裕のない人に「被災者に三点セットを」と言っても「自分が大変なのに何で人の為にせにゃならんのじゃい」と言うのが本音。その為僕の呼びかけに応じてくれた人はわずかでした。実際は2回に分けて送りました。合計で90セット弱。皆さんの一部と僕の弟子達 それに福井の息子達と親戚で大部分集まりました。またお金でのカンパも集まっています。3点セットはなかなか集まらないのが現状です。でも探せばどこかにあるのです。そのどこかを教えてくれる人が近くに沢山いたので集まりました。僕は世の中に迷惑をかけているのです。昔 健康保険の滞納で数年分踏み倒したことがあります。社会に迷惑をかけたと思っています。せめてこんな時に少しでもお役にたてればいいと考えています。でもこれだって「必死」ではないです。あまり根を詰めていないのです。「集まればいいし 集まらなくてもしょうがない」程度の気分です。このくらいの良い加減さがいいのではないでしょうか。昔の聖人のように「善行を施すといいことがあるから頑張っていいことをしなさい」と言わないことです。頑張ってはいけないのです。特に頑張り易い人は気をつけなければいけません。そういう人は廻りの人に「今日から善人面は辞めて悪人になる」と宣言するといいのです。悪人だと何をしても許されるのです。善人で短命で終わるより悪人に徹して長生きの方がいいと思いませんか。この震災で亡くなった若い人たちはきっと善人だったのでしょう。善人が多い地区の人がこの被害にあったとも考えられるのです。善人が滅び悪人がはびこる世の中になっているのです。東電をみるともっとはっきりするでしょう。