週刊店長情報 競うと戦う 24 8 20
オリンピックが終了、随分盛り上がりました。夜中に実況中継される競技でも見ていた人も沢山いたらしい。僕は全く見ていません。結果をネットのニュースで見たくらいです。柔道で金メダルを取れなかった人は大変、かわいそうなくらいです。金が当たり前で期待されすぎるから。日本のお家芸だからというので余計にプレッシャーがかかっていたのです。日本が勝てないのは一言でいえば「自在性」が無さ過ぎるからでしょう。練習していない想定外の状態が起きた時には手も足も出ないのです。プロボクシングの亀田何がしが負けそうになったら「何でもやった」ビデオを見た事があります。そう言う覚悟が必要です。柔道の元メダリストの小川何がしが指摘していました。これは日本人の癖です。コーチ監督のアドバイスを素直に聞く人が多すぎるのです。代表になるのにもコーチ監督の影響が大きいです。日本の代表選考はかなり異常です。成績とか選考試合とかで1位になっても代表になれない場合もあるのです。代表選びは密室です。選考委員が権限を持っているのが日本の特徴。外国では選考レースで1位から3位までが代表と決まるのですが。日本は「経験とか海外での実績」とかが選考で加味されるのです。これなら初めから選考レースは止めて選考委員で決めればいいのですが出来ない事情があるのです。選考レースにはスポンサーが付いているので止められないのです。しかも1回でないのも同じ理由。代表になるとコーチ監督のアドバイスは絶対です。日本の代表は自由に出来ないのです。こんながんじがらめの状況での戦いです。本当は「こんなんいや」と言う人が出てこないのが不思議です。言えばきっと「大ブーイング」日本はこう言う点では異常な国です。金メダルを取ってすぐにプロになった格闘家がいます。金メダルを取った時「金メダルを取ったんだから後は好きにやらせてくれ」格闘技というのはルール化された喧嘩です。喧嘩はルールがないのが普通です。ルールが多ければ多いほどストレスになります。その上コーチ監督の助言もストレスの原因です。「好きにやらせたら」いいのです。結果に責任があると言うのも変。たかがスポーツなのです。このくらい冷めて物を観てみる必要があるのです。サッカー 柔道 ボクシング バレー等は相手を打ち負かす戦いです。それに対しいウエイトレフティング 体操 馬術 トラック競技とかは戦うのではなく競うという表現がぴったりです。本来のオリンピックはこの「競う」精神ではなかったかと思っています。戦うというのは平和をイメージさせません。平和は戦って達成される事にはならない筈。相手を打ち負かして相手がギブアッブした時に平和が訪れるのですが人間はあきらめが悪い動物、負けたら復讐を考えるのです。これでは平和は永久にこないでしよう。もし平和の祭典というなら 争わない 戦わないと言う考えでの種目選びが必要です。僕は戦うというのが嫌い セールスマンの会社にいた時、事務所で全員の成績をボードに貼り出していました。僕はいつもビリ。奮起させたかったのでしょうが 気分が良いものではなかったです。今のように誰にも命令されない生き方が合っています。自分で目標を作って必死で頑張るのもイヤ。目標を作っても「出来ればいいかなぁ」と言うくらいです。これが伸びない理由でもあるでしょう。脱サラした人の大部分は「好きにやりたい」人達。自由にやれるとストレスが少ないのです。ひょっとしてこれが長生きの秘訣健康の秘訣かも知れません。ルールでがんじがらめのスポーツしている人とか 毎日好きでもない仕事をしている人はストレスが多いのです。この人達がリラックスできるのは休日と給料日。逆に仕事が好きな人は幸せです。ストレスを少なくして生きるには「好きな事を仕事にする」か「仕事を好きになる」かどちらかです。商売も戦うとか叩きあう「戦う人生」だとストレスが多くなります。競い合う商売 店同士。こんな関係「競い合う」人生とか同業者との関係が理想ではないでしょうか。卸との関係も対立する関係ではなく切磋琢磨して競い合う関係がグッドと言いたいです。相手を「こてんぱんにやっつけては」いけないのです。